交通事故犯罪の中では飲酒運転などと共に極めて悪質性の高い犯行形態としてはやはり「ひき逃げ」だと思います。交通事故を起こしておきながら、怪我人の救護やその後の処理を放棄して現場から立ち去るのだから被害者にとっては絶対に許しがたい犯行形態でしょう。各都道府県警察交通部でもひき逃げ交通事故の検挙率は交通犯罪検挙率のバロメーターとして徹底した検挙方針をとっていると思います。ところが、本日5月25日付けの報道によりますと、またしても警察官によるひき逃げ交通事故が発生し、53歳巡査部長が福岡県警に逮捕されました。逮捕された警察官も福岡県警久留米署西鉄久留米駅前交番勤務ということです。
このような公務員犯罪は身内が身内を捜査することになり、いかに県警が「公正に捜査し厳正に処分する」と声を大きくして発表したところで、被害者はおろか、国民はやはり適正捜査に疑念を抱く結果になると思います。実際福岡県警は今年に入ってどれほどの不祥事を起こし、再発防止のコメントを発表しているのでしょう。7件、8件?このような状態の組織で適正捜査を期待して欲しいと訴えても失墜した信頼関係では無理だと思います。このような時は、最近話題に聞く、第三者機関による調査の必要性、だと思います。本当にこの種事件は残念でなりません。
警察官によるひき逃げ交通事故、第三者機関の調査必要性
2012年05月25日 · 未分類
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交通事故調査の基本
2012年05月24日 · 未分類
交通事故調査の基本はなんといっても現場や車、人などの痕跡を緻密に観察することである。肉眼で観察して見えるものは警察官であれ民間地域住民であれ同じものが見えるはずです。痕跡が残っているのなら警察官が見ても痕跡の存在はあり、という結果になるし、民間地域住民が見ても同じように痕跡の存在は確認でるはずです。警察官にしか見えない、という痕跡はないし、民間地域住民にしか見えない、という痕跡もありません。痕跡というものは共通の証拠だからです。交通事故調査をする上ではこの基本を絶対に忘れてはいけないと思っています。
ある交通事故が発生した時、警察官は110番通報などによって交通事故を認知し、既に発生している事故現場に臨場して事故捜査を開始します。これを警察官は「先着」とか「第一臨場」と言って真っ先に事故現場に到着したようなイメージを多くの人に抱かせてしまいます。しかし、警察官が第一臨場する以前から、事故直後の状態やあるいは事故発生そのものを見ている民間地域住民が存在していることを忘れてはいけないと思います。ところが、法廷闘争の場になると、民間地域住民が説明した痕跡や物の存在は、警察官が追認して捜査報告書や実況見分などの司法書類で存在したことを明らかにしないと、痕跡や物は存在しなかった、という結論に達してしまうのです。よく聞き込み捜査という捜査方法を耳にすることがあると思います。犯罪事件現場周辺で捜査員が事件に関係するような事象について地域住民などから話を聞くものですが、聞き取りした内容が、捜査報告書や参考人供述調書という司法書類にまとめあげられ、はじめて地域住民が体験したことが捜査の土俵に上がってくるのです。目撃者などの事件協力者がいかにマスコミやネット、ブログで事実体験したことを掲載しても、司法書類に反映されなければ目撃者が体験した重要な目撃体験は存在しなかったと同様になってしまうのです。このような性格の司法書類(公文書)は客観的内容を記載すべきで、捜査員の主観は排除されるべき義務のある文書だと思います。さもなくば、本当に事件現場に存在した物が、捜査員の主観によって存在しなくなるのですから。
捜査機関による虚偽捜査報告書の作成や証拠編の捏造が全国各地で頻繁に発覚している現在では、なおさら捜査機関の書類を重要視する真相究明方法から、物や痕跡を重要視する真相究明方法へ移行すべきではないかと思っております。
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白バイ乗務経歴者として、白バイ事故調査をしてみようかと・・・
2012年05月11日 · 未分類
みなさんは愛媛白バイ事件という事件をご存じでしょうか?愛媛白バイ事件と高知白バイ事件という二つの白バイが関係している事件はインターネットキーワードで簡単に検索できる事件で、私もとても関心を持っている事件です。特に私の場合は白バイ乗務経験者であり、警察官現職当時に発生した白バイ同僚が絡んだ事故ということで、その経歴がなおさら関心を強めているのかもしれません。来月には私も四国に乗り込む予定でいます。何の役にも立たないかもしれませんが、じっとしていることができません。
さて、その愛媛白バイ事件ですが昨日控訴審判決があり高松高裁で控訴人の敗訴という判決がありました。しかも第一審よりも後退した内容の判決で、県や国を相手にして法廷で闘うことの難しさがよくわかります。これから判決文を熟読して四国入りした時に出遅れないようにしたいと思います。
いつも思うのですが、この日本という国では真相を明らかにして、真実に基づいて処分され、真実に基づいて救済される、という当然のことができないのです。おかしいです。
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交通事故調査のブログを書きたいのですが・・・
2012年05月11日 · 未分類
また、絶対に起こしてはならない警察不祥事がありましたので、その感想を書いてみたいと思います。警察官の職に限らず公務員として最低限守って欲しいルールとはなんでしょうか?私は虚偽公文書作成とか偽造公文書作成という犯罪は最も犯してはならない公務員の基本のルールだと思ってます。われわれ民間の調査業でも調査報告書に虚偽事実を書くということは許されないし、他の会社であっても稟議書や報告文書に虚偽記載をする行為は組織の存続を揺るがす大きな問題だと思います。
神奈川県警中原署の34歳巡査が虚偽の公文書を作成し自転車盗を検挙したという犯罪検挙を捏造していた裁判の判決がありました。裁判官は判決の中で「警察の捜査全体に対する社会の信頼も大きく損なわれ、社会的反響も大きい」と述べています。そのとおりで虚偽文書は絶対に作成してはなりません。
しかし、今回の神奈川県警中原署の案件が特異稀な、例外的事案ではありません。これまでも何度も何度も全国都道府県警察では虚偽公文書作成事件が繰り返し発生しているのです。交通事故調査を営んでいると、交通違反や交通事故は国民にとって身近に経験する法令違反なのですが、この中も本当に多くの虚偽公文書(捜査報告書や実況見分調書など)を目にすることが多々あります。私は犯罪捜査を目的に交通事故調査は行っておりません。しかし事実と異なる内容の報告結果に対しては毅然と報告文書の虚偽性を明記したいと考えています。
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失効無免許でパトカー運転
2012年05月11日 · 未分類
愛知県江南署の24歳巡査が運転免許を失効したまま約2ケ月間、パトカーを運転していた事実が発覚しました。報道ではこの事案について巡査は「うっかり失効」ということで刑事処分ははく警察内部規定に基づいて処分を検討するということです。
さて、「うっかり失効無免許」とうどういうもので、どうして無免許運転なのに刑事処罰がされないのでしょう?これは、道路交通法上で無免許運転は故意班とされいるからです。ですから同じ有効期限が失効した無免許でも、「有効期限が切れていることは知っていたが忙しくて免許更新にはまだ行ってません」とう類の失効無免許は立派に無免許運転が成立し刑事処分を受けることになります。しかし「有効期限が切れていることをすっかり忘れてました、確か来年が更新時期だと思ってました」と勘違いや思い込みのまま車を運転しても、これがいわゆる「うっかり失効無免許」というもので刑事処罰の対象にはならないのです。
では、うっかり失効無免許のまま一時不停止違反をして警察官に止められてしまったらどうなるでしょう?答えは通常の青切符(反則告知)処理はされません。ここからは非反則者とか非反則行為という極めて難しい、というよりややこしい概念があるため説明は省略します。お聞きになりたい方は直接お問合わせください。話を戻して、うっかり失効免許のまま一時不停止違反で取締りを受けると赤切符処理され違反項目は、無免許運転と一時不停止の2つの違反として処理されます。赤切符ですので銀行に行って一時不停止違反の反則金7000円を銀行で仮納付する手続きもありません。成人であれば検察庁に送致されたうえ、反則金相当額の罰金が科せられるのが通常だと思います。
ところでこの巡査の上司の警部補は巡査の事案を把握しておきながら署長、副署長に報告していなかったということも発覚し、監察官は警部補の処分も考えているという報道です。どうしてこうも処分、処分となるのか・・・・・本当に残念です。そして副署長は例によって「再発防止に努める」とコメントしてます。しかし、ここが私なりに許しがたいところですが、警察署にも安全運転管理者という責任の者がいます。普通の場合、安全運転管理者は副署長であり、公務の一環として安全運転管理者講習を受けているはずです。そして安全運転管理者は、運転手が飲酒運転や過労運転、無免許運転などにならないように管理する立場にあるのです。
運送事業者の場合はこの安全運転管理者の責任が強く求められます。その責務を副署長が果たしているのなら、警部補からの報告を受けなかったので知らなかった、という言い訳はできない立場にあると思います。再発防止に努めます、というコメントではなく、未然に防げなかった責任を自らに科すのが、組織上の地位、立場というものだと思います。
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大型バスの交通事故調査
2012年04月30日 · 未分類
重大交通事故がとまりません。京都、千葉、愛知と続き次は群馬関越自動車道です。大型高速バスが自損で道路左側の防護壁に衝突し、7名が死亡しました。運転手は「居眠り運転をした」と説明しています。大型バスは丈夫そうに見えますが実は車体の軽量化を図るためにボディ全体が非常に薄っぺらな板でできており、強度はありません。車内の乗客を雨風から保護する程度の物です。座席の下も、ほとんどはトランクルームとなっていて空洞です。車体の上半分が窓ガラスなんていうバスもあるように、大型車両でもダンプカーのように補強版をとりつけて強度を増しているものとは根本的に車の構造が異なっているのです。ですから今回の事故のように防護壁や中央分離帯などに衝突すると、防護柵などの衝突物が車内を串刺しにするようにのめりこんできて、死傷者が多数でる大事故になってしまうのです。
この事故は群馬県警高速隊の当番小隊が中心となって他から応援をもらいながら処理することになるのでしょうが、不祥事、不手際を起こすことなく真摯に対応して欲しいと思います。
私は高速バスの事故処理経験はありませんが、路線バスの人身事故は数件取り扱ったことがあります。バスの事故で最も神経を使うことは、乗車人員の人定作業でした。マイカーの事故と違い、路線バスや高速バスは乗員につながりがないため、どこの誰が乗っていて、怪我をしたのかの把握ができないのです。そのため報道発表も不完全な状態で行われ、情報が二転三転して混乱させる結果になるのです。すると警察はどんな情報収集方法をとっているんだという不信感を抱かせてしまいます。
また、路線バスの場合、比較的軽症の方や怪我をしなかった方などは、警察官の到着を待たずに帰ってしまうこともおこるのです。
そして、後日診断書を提出されると、警察では人定を把握しておりませんので、本当にその事故による怪我の診断書なのか、本当にそのバスに乗り合わせていたのか、など交通事故証明書を発行できるかの判断をせまられ一般事故とは異なる気苦労があるのです。
報道を見る限り関越自動車道での高速バス事故の乗客は、大半がインターネットで申し込んだ方々らしくツアーを企画した会社もバス会社も正確な乗客の把握に苦慮していると思います。
会社としての運行責任など調査(捜査)事項は多義にわたり、省略化した解決策に流されないで欲しいと思います。遺族、被害者、報道関係者などはしっかり捜査の行方を見届けてください。
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居眠り運転の事故調査
2012年04月27日 · 未分類
京都亀岡市の10人が死傷した少年の無免許運転交通事故で、少年は「ふっと意識がなくなり、一瞬眠ってしまった」と説明しているということです。これは言い訳としてよく聞く言い訳で、一般的にはその供述だけで少年は無免許運転の上、居眠り運転して事故を起こしたという理屈が通るところです。わからないでもない。
みなさんが学生時代、退屈な授業や講話を聴いている時に、どうしても睡魔に負けてしまい、こっくり、こっくりとしつつ、一瞬ガクンと頭が下がり、はっと目覚め、またこっくり、こっくりが始まり船漕ぎになっているけど、必死に寝てはいけないと頑張っている経験があると思います。これが居眠り運転の原理ですが、少年はこの「一瞬ガクンと頭が下がってしまった時、ふっと意識がなくなった」ことで事故を起こしてしまったと言っているのです。この睡魔の表現は説明したとおり我々も経験していることで、一般的には居眠運転として分かりやすい表現となり捜査も順調に進んでいる感じになってしまいます。
ところが、居眠り運転を立件しようとする時、このふっと意識がなくなり一瞬眠ってしまった、という点をいかに詳細に事故調査(捜査)しても的外れの調査結果となってしまうのです。不完全な調査結果ということになります。ここが居眠り運転の最も難しいところで警察官もできるなら居眠り運転での立件は見送り、できれば別の過失で送致したいと願います。
先ほどの退屈な授業中の例で、ではいったい授業が始まってから最初に眠気を催したのはいつですか?と聞かれると授業が始まって5分くらいしてからとか、もう授業が始まる前からすでに眠かったとか、いろいろとあやふやな、大体の説明となってしまいます。これが絶えず移動している車の運転行為中に置き換えると、最初に眠気を催した地点はどこですか?と指示説明を求めても、かなりアバウトで、いい加減な回答しかできないのです。少なくても実況見分調書の単位である10cm単位の説明はできず、さらに概算として1m単位で表現しようとしても無理だと思います。そこで調査官(捜査官)としては、「眠いと思って窓を開けた地点はなかったか?」とか「眠気覚ましにガムをかんだ地点とかジュースを飲んだ地点とか、たばこを吸った地点はなかったか・」などポイントとなる地点を教示し、本当にアバウトな地点を特定していくことになってしまうのです。ですから実況見分の図面も5kmと10kmとか長くなってしまうものです。誰だってやりたくない仕事です。まして運転手本人だって単なる友人との夜間ドライブで走った経路など覚えてる訳がありませんので、そのあたりから事件の真実があやふやになってしまうのです。実際にはこの次に、もう運転が無理だと思うくらいに眠気を感じた地点はどこか?という地点の特定もしなければなりません。交通事故調査に精通していない人は「そんな地点にこだわったってしょうがないじゃないか、もともと無理なことだし、ようするに少年は居眠り運転をしたと自供してるんだから十分だろう」と言います。しかし、居眠り運転を立証しようとするのだから「運転が無理だと思うくらいに眠気を感じた地点」で運転を中止していれば事故を未然に防止することが可能だったのです。この地点以外に事故を防ぐ場所はなかったのです。
この事故はどうして起きたんだ?という報道番組が放送されますが、当然、常習無免許の悪質性やあるいは通学路に潜在する危険性の検証、が主要内容になってしまいます。ところが、警察、検察の捜査機関では常習無免許の悪質性は当然捜査しますが、捜査のほとんどは運転開始から事故を起こして停止するまでの間で、睡魔が襲ってきた状況が主となっています。
結論まで長くなってしまいました。
このような捜査(調査)ですから、徹底した原因究明を警察に期待して、それを基に同種事故の防止を図ろうとしても、事故を未然に防止することができた地点の特定が居眠り運転を立件する警察捜査の着眼点であり、無理なわけです。
このような捜査側の背景を知った上で報道を見るとまた事故防止に関する違う見方があります。
京都亀岡市の事故での無免許運転と無免許運転ほう助の取り扱いについては次回に説明したいと思います。
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またも被害者の無過失事故・千葉
2012年04月27日 · 未分類
京都府亀岡市でおきた事故をきっかけに、各地の小中学校などでは通学路の危険個所を点検している最中でです。そんな中、今朝の7時30分ころ千葉県館山市大賀の県道で通学のために路線バスを待っていた小学児童(6歳)に軽乗用車が突っ込んだ事故が起きてしまいました。それから数時間もしないうちに、男児の死亡が確認されたという県警館山警察署の発表がありました。
仙台にいる私には原因がわかりません。警察発表では「仕事の事を考えていて、ぼんやりしていた」ということです。現場の道路状況などはたまた5月8日に千葉県出張の仕事がありますので、その時によく計測してこようと思います。
しかし、たしかに全国各地には危険な道路形状というものが存在してますが、それでも道路形状が事故原因だったという交通事故はありません。一日の何百台、何千台という車が同じ道路を走行しているのに、たった1台だけが交通事故を起こすのですからやはり認知・判断・操作という運転行為の繰り返しの中で、運転手に何らかの原因があると言わざるを得ません。車と人が共存する車社会ですから、今運転している人だって、必ず歩行者に立場が転じるものです。全ての道路を歩車完全分離構造にするなど非現実的なことですから、道路を歩行する上での大部分の安全は自動車運転手の安全意識に委ねられて人車の共存が成り立っていることを私たちが運転手の立場になった時に意識づけしなければなりません。
自動車運転手に対する安全教育の場では、運転中全神経を運転行為だけに集中すること、講師の先生が話しをしますが間違いではありませんが、実行不可能な指導の要請でもあります。誰だって考え事をしたり、窓の景色に目を奪われたり、ラジオを操作しながら運転をしているのです。安全教育を担当する講師の方だって、パトカーを運転したって、白バイに乗務したって、様々な考え事をして運転しています。それでも事故を起こさずに目的地に移動ができるのは、その場面、場面で認知・判断・操作を適正に行っているからだと思います。自分の置かれている状況や立場を理解して適切な認知と判断をし、行動に移す、ということは自動車運転時だけではなく、社会人としてのルールだと思います。この社会人としてのルールの欠如が被害者無過失事故の大きい原因です。
実は、千葉県館山市での事故と同じ時間帯に、愛知県でも発生しているのです。愛知県でも通学途中の児童の列に乗用車が突っ込んだという事故です。悲しいですね。
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交通事故遺族の思い
2012年04月26日 · 未分類
京都の少年無免許死亡事故でまた京都府警の不祥事が報道された。事故当日夜に府下警察署長会議終了後の飲酒懇親会で、交通部幹部が飲酒したのは軽率だった、と会見をしたばかりなのに、今度は被害者の携帯番号などの情報を少年の父親に教えていたという不祥事である。交通事故遺族の思いというものが分からないのだろう。怪我をした方の思いが分からないのだろう。府警・警察本部に犯罪被害者対策室などという部署を設けて、室長警視以下5~6名の警部・警部補・巡査部長などを配置させただけで、犯罪被害者の対応を充実させた、と組織的に完全な体制と思い込む程度の薄っぺらな認識の表れである。冗談ではない。交通事故当日に飲酒懇親会を開いたことに対する報道では、「飲酒は捜査指揮に影響を与えていない」と言っているがこれも交通事故遺族の思いを全く理解していないからである。本部長指揮事件であろとも実際に交通事故を処理するのは第一線の現場の警察官であり、交通部長であろうと本部長であろうと飲酒酩酊しても捜査の進捗にはまったく影響しない。では何が非常識であるのか?確かに固有の遺族感情であり理解しがたいことだろうが、当たり所のない絶望の悲しみと必死に向かいあっている時に、重大事故の捜査をしている警察の一部の者が、飲酒に興じていた、という事実が信じ難い出来事なのである。
今回は、亡くなられた方が使用していた携帯電話に被疑者の父から着信があったということである。電話をした父親が悪いのではなく、遺族の気持ちに軽率過ぎる、いや全く理解していない担当警察官の配慮の無さである。被害者のお父さんは、携帯電話は遺品としていつまでもとっておくつもりでいたのに、捨てろということか、と怒りをあらわにしているが、本当にそのとおりである。
柳原三佳さんの著書、遺品あなたを失った代わりに、を読んでみるがいい。何年も捨てられない冷凍餃子、取れこめない洗濯物、たばこの吸い殻、これらが遺族の想いである。愛する人が最後に見た景色をいつまでも大切にしたいと思う気持ち・・・・
遺族の痛みを理解できない者には、人の死を扱う職務を全うできる筈がないしその資格がない。
私が警察という組織を離れようと決意させたのは、
息子の死をただ待つしかできない生き地獄の中にいた時、職場の上司から「明日も年休でいいですか?年休届書いておきますから」という電話を受けたことでした。
自分の職務上の責任を果たすため、いや責任を逃れるためには、他人の心の痛みなど考えずに行動する組織に耐えられなくなりました。
私の心の弱さだったのか、まだ答えはありません。
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民間交通事故調査会社の必要性
2012年04月26日 · 未分類
本日、東京地方裁判所で民主党小沢氏に対する政治資金規正法について無罪判決がありました。この事件は、検察官が起訴を見送ったのですが検察審査会議決によって強制起訴となった事件です。検察官は裁判で勝てる自信が無い事件は起訴しません。わかりやすく言えば、負けると分かっている裁判はしない、ということです。これが起訴事件の有罪確定率がほぼ100パーセントに近い数字をだしている理由です。
しかし、交通事故調査活動をしているうちに感じてきたことなのですが、検察官が起訴しないもう一つの理由に、起訴したことによって公開の法廷に出されては困る、都合の悪い証拠や報告書がある場合も、どうも不起訴処分にすることが多いような気がしてなりません。また、交通事故を処罰する自動車運転過失致死傷罪や単純交通違反事件など法定刑に罰金刑もある事件では、略式起訴によって、公開の法廷で審議をすることなく書面上で形式的に有罪判決の裁判官決済を受ける手法が用いられることも多々あります。略式起訴制度を隠れ蓑にすると、矛盾点や解明されていない重要部分について捜査をすることなく、場合によっては都合のいい虚偽文書を作成しても、誰にも気づからずに事件を完結することが可能なのです。
死亡事故や重傷事故、被害者の無過失事故などで被疑者が略式起訴により処分される事件は、より注意が必要です。あるいは被疑者が否認しているのに不起訴処分になったりする場合は、公判維持ができない場合がほとんどで、それは警察の捜査結果が未熟、虚偽等に原因があるものです。
ここに民間交通事故調査会社の存在意義があるわけです。真実に基づいた被疑者の処罰と被害者の救済という当たり前のことが当たり前になるためには、事件事故の処理を捜査機関のみに委ねることは危険だと思います。
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