あいかわらず飲酒運転による交通事故が後を絶ちません。全国各地で毎日、どこかで、必ず発生しているようです。どうしたら無くせるのか、優秀な学識経験者が何十年と議論しても無くせない課題のようです。世の中にアルコールという飲み物がある以上は、必ず起こる、防ぐ手段がない現象なのかもしれません。おそらく法定刑を重くしても、取締りをどんなに厳しくしても、どこかでは発生すると思います。それでも放任させることもできないし、やはり飲酒運転をした人は厳しい処分を受けなければならないと思います。
この飲酒運転に関してですがどうして0.15mg/lという政令で定めた基準値があるのでしょう?以前は0.25mg/lだったのをわざわざ基準を厳しく引き上げたのですが、どうしてその時にアルコールの量を問わず、厳しく処罰することができなかったのでしょう?私も疑問に思ってるし、多くの方もきっと飲酒運転に関する考えは同じだと思います。0.15と0.14の区別など人体には何の変化の違いも現れません。通常健康人の血液中には0.03mg/lのアルコールを保有していると言われておりますので、0.00mg/lという基準を設けることは難しかったんでしょう。(たぶんです、私の私見です)
やはりこのような運転手の倫理観や道徳に頼らざるを得ない部分は、数値で規制することが難しい分野なのかもしれません。
とにかく飲酒運転はやめていただきたい。そして兵庫県警で問題とされているような違反の捏造行為はもっとやめていただきたい。
飲酒運転による交通事故
2012年04月12日 · 未分類
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交通事故調査の範囲
2012年04月11日 · 未分類
車と車の衝突とか車と歩行者の衝突とか・・・いろいろな形態がありますがどれも交通事故です。正確な交通事故の定義は、道路交通法第72条第1項に記載されております。それによれば交通事故とは「車両等の交通による人の死傷又は物の損壊」とされています。「車両等」ですから自動車の他、原動機付き自転車や軽車両としての自転車も含みます。だから最近では自転車の交通事故がクローズアップされ、自転車も車両としての位置づけをしっかり理解して運転してもらおうと、原則歩道通行を禁止して道路の左側走行を徹底させるという取締り方針が示されています。また地域性により日常生活ではあまりなじみのない路面電車、汽車、路面電車以外の電車又は気道車も大きな概念では含まれているようです。ですから例えば、歩道上で人と人がぶつかって怪我をした場合などは、車両等には歩行者は含みませんので交通事故にはならないということも言えます。船舶の事故も飛行機の事故も交通事故とは言いません。これは船舶や飛行機が車両等に含まれるかどうか問題となるほか、交通事故でいう「交通」とは歩道や路側帯、路肩など道路上における交通を意味しているからです。
私が行う交通事故調査のほとんどはこの道路交通法でいうところの交通事故を調査することと、実はあまり知られていない自動車損害賠償保障法上の交通事故というものも存在し、いわゆる駐車場内の事故も交通事故として調査をしております。
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交通事故防止が目的じゃないの?
2012年04月10日 · 未分類
警察が交通取り締まりをする根拠はどこにあるかご存じですか?それは警察法第2条「警察の責務」というところに「交通の取締り」という言葉が明記されています。これこそが根拠です。この警察法第2条「警察の責務」は交通の取締りの他に警察がすべき活動が列挙されています。そして第2項では、「警察の活動は厳格に前項の責務の範囲に限られるべきもの」とされております。
さて、交通取り締まりの目的は当然、交通の安全と円滑を確保して交通事故防止を図ることだと思います。各警察官個人が、あるいは警察署交通課単位の検挙実績目標を達成するためではありません。もちろん一時停止標識や指定速度、通行禁止などの規制標識は絶対必要なものですから、規制標識がある以上はそれを守らせるのも警察の立派な責務だと思います。しかしこれほどまでに標識の数と車の台数が増えると、取締りでは違反を激減させることは不可能です。標識を守らせたい、と願うならば運転手の良心に訴える教育が必要で、それは幼児期から始めなければならないと思います。交通安全施設の予算配分の詳細はわかりませんが、交通教育に大きな力を注いでほしいと思います。私は白バイ乗務など交通指導取締り出身の交通事故担当でしたが、一時停止標識や40キロの指定速度標識を取締りの目的に利用しては警察の信頼は絶対に得られないと実感しております。違反車両を待ち構えての取締りは教育的効果がなく事故防止に有効だとは思えませんでした。
居酒屋から出て来る客が駐車場から運転していくのを見張って、道路を走行させてから、追いかけて飲酒運転として取り締まる、というやり方も、警察という取締機関がやるべき姿ではないと感じています。一方では取り締まるために飲酒運転するのを容認して運転させ、道路交通法上の飲酒運転違反を既遂にして、一方ではその違反を取り締まるというやり方が横行しているという話を最近居酒屋経営者の友人から聞きました。飲酒運転をする違反者には言い訳はありませんし、最も許しがたい運転行為ですが、交通事故防止という概念がその警察官に僅かでもあるのなら、居酒屋から出てきた客が車に乗る前に、「お酒飲んでるでしょ、運転しちゃだめだよ」とこれから犯罪を犯そうとしている者に対して犯罪を未然に防止するための手段を講ずるべきだと思います。検挙件数とか検挙実績などということにとらわれて、警察活動の意義を数字に求める結果の弊害だと思います。
今朝の新聞では元宮城県警泉警察署長が飲酒運転で逮捕されたと報じていました。この方は刑事総務課長や暴力団対策課長など県警本部の要職を務めた方でしたが残念です。もっとも彼の場合は、車の中で寝ているという一般人の通報によって駆けつけた警察官が声をかけようとしたところ逃走したのですから逮捕されて当然です。
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交通法令違反と交通事故原因について
2012年04月07日 · 未分類
交通法令違反が交通事故原因であるかというと人身交通事故の場合は単純に「そのとおりです」とは言えません。
例えば、一時停止標識のある交差点で一時停止しないで進行した結果、交差道路を走行していた相手方と衝突し、運転手が怪我をしたという人身交通事故が発生したとしましょう。よくある交通事故形態です。
この場合、多くの方は事故の原因が一時停止しなかった方にある、と判断してしきりに相手方が一時停止しなかった、ということを証明しようよ詳細に自分が見た一時不停止車両の状態を警察官に説明します。交通事故の本質を理解していない警察官も、実況見分時に運転手に、一時停止をしていないこと、を認めさせてしまおうと、その指示説明を引き出すことに夢中になってしまいます。
ところが人身交通事故では一時不停止違反の状態を詳細に見分しても立件できないのです。賢い方ならお気づきでしょう。
一時不停止違反は道路交通法第43条の交通法令違反ですが、人身交通事故を処罰する法律は刑法211条2項の自動車運転過致死傷罪ですから、どんなに道路交通法違反の部分を捜査しても、適正な人身交通事故処理はできないのです。
一時不停止違反の否認事件を捜査する視点では人身交通事故の捜査を完了することはできないのです。
このような時、相手方の運転手が死亡してしまうと、その遺族は当然「なんで相手の人は一時停止しなかったんだろう?」という疑問が頭から離れず、死亡事故という受け入れがたい事実とは別の苦しみを味わうことになります。
担当の交通事故捜査係の警察官に、その疑問を投げかけたとしても「捜査上おことですからまだお答えできません」という回答になると思います。そしてその時になって初めて遺族として、少しだけ警察に対する不信感が芽生えてしまうのです。
この時、警察の捜査が一時停止をしなかった理由をしっかりと捜査して、それでも捜査上の秘密で答えられないのであれば、それは法律が要求している義務ですからやむをえません。しかし事故を担当した警察官が、一時停止をしなかったのは明らかだ、という側面でしか捜査をしていなかったのなら、「どうして一時停止しなかったんだ?」という疑問はずっと判明しないのです。
自動車運転過失致死傷罪では、遺族が疑問に感じた、「どうして一時停止をしなかったんだ?」という点が、まさに過失犯の本質で最も重要な部分になっているのです。理由はいろいろ考えられます。慣れない道路で標識を見落としたとか、携帯電話で話し込んでいるうちに標識を見落とした、とかボーっと考え事をしているうちに標識を見落としたなど、さまざまな理由があり、しっかり前を見て注意していれば標識に気付いて、きちんと標識に従って停止していれば事故は防げただろう、ということを証明しなければならないのです。かなり難しい捜査の分野です。
もし、皆様の中で単純に「一時停止しなかった過失により事故を起こした」という内容の書面をお持ちの方がいるなら、それは捜査不十分のまま処理が済まされたと思ってください。
ところで、今三重県警では、一時停止違反の否認事件でパトカー内で事情聴取していた女性が失禁してしまい問題になっています。否認調書の作成は、住所、氏名が明らかで逃走の恐れがないなら、後日、落ち着いてからでかまわないのです。トイレに行きたければトイレに行かせたあとに、警察署に来署を求めてからで何の問題もありません。むしろそうすべきでしょう。私としては関心をもって見ている事件の一つです。
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重大交通事故と捜査ミス
2012年04月06日 · 未分類
交通事故の大半を占める比較的単純軽微な追突交通事故などは、軽傷人身事故、物損交通事故ともに相当大雑把な事情聴取でも捜査ミスというものは生じにくいと思います。また仮に捜査ミスがあったとしてもそれが問題になることはほとんどありません。それは刑事事件であっても民事事件であっても、事故の原因が追突した方の一方的責任を追及すればよいからです。「前の車が急に止まったのが悪い」など一応の弁明は聞くのですが、「前の車が急に止まったのなら、後ろを走ってたあなたも急に止まれば事故は起こらなかった」と強引な説明をされたら返す言葉もなく、事故処理は警察主導で進んでいきます。だだし、念のため付け加えるならば、見通しの良い直線道路などでの単純な追突事故ほど、追突した運転手の過失を特定することは非常に難しく、正確な事故処理がなされているかは大いに疑問があります。
本題にもどって、死亡事故や重傷事故など重大な人身被害をともなう交通事故の捜査は、警察組織による捜査体制で処理するので捜査ミスは生じることはない、担当警察官の判断ミスは組織力が修正して適正捜査が推進されるはず、と思われがちです。しかし、多くの場合、事案の軽重は死傷の有無にかかわらず一件の交通事故は、実況見分官と呼ばれる一人の警察官の判断によって進められます。そして実況見分官とは、交通事故の交通工学、交通鑑識など特殊技能を習得した固有の警察官ではなく、辞令によって配置された普通の警察官です。実況見分官だけでなく捜査官や指導官、管理官、監察官などたくさんの名称がありますが、全ては役職であってもとをたどれば、どれも都道府県警察官です。例えば新人警察官が事故現場に臨場して当事者から状況を聴取すれば、その警察官が捜査官であり、事故の実況書面を作成すれば実況見分官となるのです。
死亡事故や重傷事故では新任警察官が当該事故の実況見分を行うことは少ないと思いますが、それでも交通事故捜査係に配置されれば1年もしないうちに、死亡事故を取り扱うことは多々あり得ることです。また、ベテランの事故捜査係員であっても、事故現場で実況見分に要する時間は2時間から長くても3時間程度です。その中で複雑な痕跡を記録したり、事情聴取したり、指示説明を求めたりして事故の形態と過失の認定を行うことになります。実況見分官の資質や捜査能力、経験などの違いによって捜査結果に影響を及ぼすことが起こってしまうのです。もちろん上司や先輩方の指導ということもありあす。すると上司の指導によって実況見分官の捜査の方向性も変わってしまうことも起こってしまいます。そこにでは当事者不在の事故処理方針が決定されていくのです。死亡事故の場合は、死者の弁明も入らず、まして遺族が死者に変わって弁明するなどということもできません。結局は複雑な要因によって発生した交通事故で、複雑な痕跡、挙動の中から、被疑者を自動車運転過失致死傷罪で刑事処罰を立件するための捜査活動によって取捨選択が行われ事件終結を迎えることになるのです。重大交通事故によって組織捜査が開始されると、実況見分官個人の捜査ミスに加えて、それ以上に組織的に事実が変更されて捜査の方向性が決定されてしまうところに恐ろしさがあるのです。組織の中では個人は歯車の一部となり、正しいことが正しいと主張できない、という理不尽な思いを多くの方も経験されておわかりだと思います。
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危険運転致死傷罪とは?
2012年04月04日 · 未分類
飲酒・無免許・無車検・無保険という極めて危険、悪質な状態で自動車を運転して死傷事故を起こしたのにどうして危険運転致死傷罪が適用にならないの?本日、宮城県南の自動車整備工場を営む知人と会った時に質問されました。ほんどですよね、これで危険運転致死傷罪が成立しないのであれば、法律を作った趣旨、目的が達成されませんよね。法律が制定されるきっかけとなった尊い命の犠牲は無意味になってしまいます。これは法律を作った有識者が机上で会議検討を重た結果でしょうが、法律を適用できなかったのでれば市民感情から言えば法律の欠陥なのかもしれません。
マスコミ報道では、よく危険運転致死傷罪はクリアしなければならないハードルが極めて高い、と言われてます。
問題となるのは、飲酒、無免許、無車検、無保険運転が当該事故の直接の原因となっているかの立証だと思います。そもそも交通事故というものは、飲酒事実もなく、運転免許も持っていて、車検も自賠責保険もちゃんと加入している人が運転しても起こすものですから、危険運転致死傷罪で類型化された行為が「直接の事故原因だと立証すること」は極めて困難になるのです。つまり、交通事故を起こした時、飲酒していた、無免許だった、無保険だった、無車検だったならば理由の如何を問わず危険運転致死傷罪を適用して通常の自動車運転過失致死傷罪よりも重く罰します、という法律ではないのです。(市民感情としては法律に期待するのはこの考え方が一般的なようです)
飲酒運転は大変危険な運転なのですが、運転開始から事故を起こすまでの間、例えば1kmも走行したとなれば、少なくても1kmはたとえ偶然でも事故を起こさず右左折を繰り返して運転していたことは事実ですから、飲酒事実が事故に直結していた、と立証することは難しくなります。無免許運転にも全くの無免許や失効無免許、車種外無免許などの形態がありますが、反復継続して事故を起こすことなく車を運転していた事実があるのなら、無免許状態が当該事故の直接原因と断定することはできません。無車検・無保険運転も同様に事故の直接の原因ではありません。どうも腑に落ちないところがあるでしょうが現状では単なる法令違反や悪質違反では立件ができないと思います。
事故が発生しなければ飲酒・無免許・無車検・無保険運転はこれまでどおりの法令違反として処罰して、具体的な交通事故が発生したならその時は人身・物損の区別なく厳しく処罰するという法律の制定が望まれるのかもしれません。(あくまで私見です)
そもそも飲酒運転に0.15mg/lという基準値があるのか私は納得いきません。このような類の違反は数値で危険度を判断するのではなく、順法精神が欠如している運転者自信に具体的危険が存在していると思います。
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交通事故当事者の指示説明、その裏にあるものとは?
2012年04月03日 · 未分類
人の記憶がいかに不確実であるから、これまでも多くの科学者、心理学者等によって指摘されています。専門家は人間の記憶に関して研究し理論的な証明をしており疑う余地もなく人間の記憶は不確実です。それは研究結果を示されなくても、私たちは往々にして人間の記憶の不確実さを日常経験済みです。それだけでも交通事故当事者が警察官の質問に対して、瞬時に起こった事故の経過を0.1m単位で指示説明することは困難な作業であることがわかります。写真はつい先日、所用で千葉県に行った帰り常磐自動車道で撮影したものですが、この写真を頼りに、またこの場所へ行こうとしても、0.1m単位で辿り着くことはできません。それを求められても答えようがありません。「まぁ、だいたいこのあたりだったかな」という程度の認識で答えことになります。それほど不確かな記憶で回答してるのだから、その地点が後々、事故の原因地点として重要な地点になるなどわかっているなら、おそらく「はっきりした記憶はありません。何度聞かれてもわかりません。」と回答すると思います。それは警察官も十分承知の上で質問しています。だから、警察官としては事故形態に不合理な地点とならないように、「だいたい、このあたりでいいですか?」を助け舟をだし、実況見分調書には指示説明地点として計測した結果を0.1m単位で記載している実情ではないかと思います。それだけではありません。現場で計測した関係地点距離を正確に図面に落として図化すると、そのままでは相手の車や人と衝突する前に通り過ぎて事故が発生しない、という状況も多々あることです。そうなると再見分という作業になるのですが、再見分したところで記憶が正確によみがえるものではなく、結局は机の上で指示説明に基づく関係距離の調整を強いられる結果となります。まさか衝突地点を移動するわけにはいきませんので、衝突地点より以前の地点を微調整するようになると思います。
交通事故調査をする上ではどうしても実況見分調書を参考にしないと事故の概要がわかりませんので、私は隅々まで目を通すのですが、それでも衝突地点以前の指示説明は本当に参考程度にしております。衝突地点から停止転倒地点までに事故の真相を見出すことが最初の目的です。その間の痕跡は指示説明でもなく、机上で微調整されたものでもないからです。
そして警察官が行う実況見分調書での指示説明の目的は、自動車運転過失致死傷罪を立証するための犯罪捜査活動であることを忘れてはいけないと思います。開示された実況見分調書を見て「あれっ?」と不自然に感じた時にはすでに刑事事件は終結している時です。このような性格の交通事故現場の実況見分調書ですから刑事訴訟法上の問題はあるのですが、しかし公の場で発生した交通時の実況見分なのですから、当事者双方にいち早い開示が望まれると思います。
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倫理法人会(4)
2012年04月03日 · 未分類
4月3日火曜日、私にとって新年度最初の大仕事は仙台広瀬倫理法人会の司会進行役から始まりました。4月・5月の2ケ月間、毎週火曜日は午前4時起き、5時会場入り、5時30分幹部朝礼、6時モーニングセミナー、7時朝食懇談といった規則正しい生活を強いられることとなりました。20年以上も警察官として公務員の職に就いていた私にとって、まさか、民間企業経営者セミナーの司会進行をするようになるなんて夢にも思っておりませんでした。警察組織にも「職務倫理の基本」という全国警察共通の倫理観が掲げられています。それは捜査・権力機関に従事する公僕として極めて崇高な倫理観です。しかしあまりにも崇高ゆえに、警察官自らがその職務倫理の基本を実践することができず、結局は現実離れした型式的制定になっている現状のようでした。交通法令に置き換えて説明すると、例えば指定速度が時速20キロとか時速30キロという公道が存在しています。その指定速度を守って走行すれば本来は理想だろうし、規制速度の標識が悪いものではありません。しかし、現実には多くの場合、その指定速度は守られていません。県民の模範となる警察車両ですら守っていない場合が多いものです。(もっとも、警察車両は公安委員会の指定速度標識から除かれているので、標識に従う義務はないのですが。)その道路環境から必要性があって規制された指定速度標識なのですが、日常の社会生活を営む上では公道の指定速度が20キロとか30キロというのは、相当意識して車をコントロールしなければ守られず、一般的には速度超過違反という認識を持つこともなく過ぎてしまうのです。社会通念という概念から極端に離れた規制は定着しないと思います。警察組織にある職務倫理の基本も同様で、日常生活をそつなくこなしていれば意識する必要がありません。その結果、多くの警察官の職業倫理観も一般公務員化し、「警察官だからこそ許されない」、という高い倫理観、道徳観が薄れてしまっているように感じます。
今日の新聞では山梨県警の警察官が制服などをインターネットで販売していたという警察不祥事記事が掲載されていました。その動機理由も「生活費に充当する」というコメントです。この種事案をみると、崇高な職務倫理の基本が、理想であると認めながらも、人として警察官の心にいきわたっていないと思わずにはいられません。私も現職当時はよく同僚と共に職務倫理の基本の一節を掲げ「誇りと使命感だけでは生活ができないんだよ」と嘆いていたことがあります。倫理とは指示命令で教養できるものでは決してありません。不祥事が発覚する度に、通達を流したところで人の心に倫理が行き届くことは絶対にありません。警察不祥事は繰り返し、必ず発生します。絶対に再発します。再発防止策を警察組織自らもっていないからです。自浄作用が期待できないからです。
職務倫理を逸脱してもそれが警察内部の問題であるなら、さほど市民生活に影響はありません。しかし、逸脱した倫理観によって執行された職務によって、それが一般市民の権利、義務を不当に侵害するようであれば、それがどんな小さな権利の侵害であっても許されるものではありません。小さい幸せが平和で、ずっと続くことを希望しているのが一般市民だと思います。
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スリップ痕の交通事故調査
2012年04月02日 · 未分類
右の写真のようにはっきりとしたスリップ痕が残っている交通事故現場の調査は正確な計測が大切です。このような現場では道路図面が正確でないと痕跡を正確に調査することはできません。ではどうやって正確な痕跡を図化できるか?ということを調査現場では考えます。官公庁で保管している道路台帳をあてにしたところですが、私の経験上、道路台帳も検証してみると意外と10年以上も前の道路がそのまま残ってたりしているのです。だから道路台帳をあてにしたりはしません。そうです、やっぱり自分でメジャーで計測するのが一番で、その結果を道路台帳と比べて図化を試みることにしてます。特に道路台帳は中央線や外側線、停止線、横断歩道などは記載されていませんので、こまめに計測するしか方法はありません。写真のようなスリップ痕が残っている交通事故現場ではセンターラインの長さ、道路幅員を計測して、完全な道路を作ってから初めてスリップ痕の長さと角度を図化していく作業となります。スリップ痕を図化する作業は痕跡を記載するもので、実際の交通事故発生のメカニズムを解明するためにはスリップ痕の特徴を何度も確認して、スリップ痕に込められている情報を細大漏らさず拾い上げなければなりません。写真の現場のように、まだ実際に路面にスリップ痕が残っているのであれば、より確度の高い情報が得られるのですが、実況見分調書に添付されている写真からでは、なかなか欲しい情報を見つけることはできません。
ところで、写真のスリップ痕ですが、どうして右側車線についているのでしょう?こういう事故調査は頭を悩ませます。しかしこれは現場の痕跡で、誰も否定できない事実ですから、誰がどんなことを言おうが、反論しようがこの痕跡を根拠にして合理的な事故の再現を図らなければなりません。
それにしても、急ブレーキ直前の運転手の心境を思うと、本当に必死の思いでブレーキを力一日踏んだことがわかります。何かを見て危険を感じた結果です。
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捜査視点に立った交通事故調査とは?
2012年04月01日 · 未分類
交通事故捜査と交通事故調査はと全く別の観点にあるものであることは前回述べさせていただきました。それでは交通事故捜査がわからなくても、交通事故調査はできるのではないか?といった疑問がわいてきます。結論から申し上げれば、工学鑑定の分野に限って言えば交通事故捜査が分からなくても、むしろ分からない方が客観的証明(事故直前の速度とか衝突確度など)が可能であると思います。スピードを出していた理由とか標識を見落とした理由がわき見だったのか、居眠りだったのかなどという捜査結果に左右されず、損傷程度・部位・痕跡から得られるデータを根拠として結論付けられる証明に留まる限り、工学鑑定は警察捜査のノウハウを理解していなくても事実の証明として有効だと思います。工学鑑定で私が現職時代から危惧していたことは、利用するデータの入手先と、データの信憑性です。捜査書類の実況見分調書に記載された数値の証明から始まらなければ所詮は実況見分調書の踏襲結論になってしまう恐れがあるし、添付写真からのみ判断した車両の損傷データは補正を経てもなお不確実データとなってしまうのです。客観的工学鑑定が真に有効だとする背景には、事故発生後、まもなく調査員或いは鑑定人自らが事故現場に赴き、自ら路面や車両の痕跡を計測し自信を持って「利用したデータは絶対間違いない」という裏付けが欠かせないと思います。
ところで交通事故捜査の要点というものは、端的に言えば「どうすればこの事故を予見して、回避することができたか」を解明していくことなのです。どのようなメカニズムで事故が発生したか、をいかに詳細に説明しても自動車運転過失致死傷罪は立件できないのです。これは「過失犯」捜査の最も難しいところで、どの点にいかなる注意義務違反が存在するのかの確定が交通事故捜査の中心なのです。これは非常に難しく現役の交通事故捜査係の警察官でも完全に理解している人は少ないと思います。交通事故を工学的視点に立って調査・鑑定をするならば、前述したとおり理解していなくても全く問題はありません。これらは数値定量化できない事故の本質部分だからです。しかし、捜査報告書や供述調書、各種実況見分調書など司法書類の中に矛盾点を見出し、その矛盾を痕跡によって証明していこうとする捜査視点に立った交通事故調査・鑑定を行おうとするのであれば難解な過失犯をまず理解することから始めなければ、提出した鑑定書は内容の無いもので依頼人に対しても無責任にならざるを得ない結果を生み出します。
正確に痕跡を読み取り、それが捜査書類の中でどのように取捨選択されて処理されているか、それを依頼人に、あるいは公開の裁判の場で正しく説明する鑑定書や意見書を作成するのが捜査視点に立った交通事故調査ということになります。
過失犯という交通事故の本質を理解していない鑑定人には絶対に手の出しようがない分野であると断言します。
警察の捜査はいかなる時も「組織捜査」で、その組織がもたらす弊害によって当該事故の方向性が変わってしまうため様々な問題が起きているのです。私は弊害をもたらす組織捜査から独立しても、なお捜査視点に立った事故調査を誠実に行いたいと思っているし、またそれが可能です。
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