先日、交通事故調査と交通事故捜査の違いってなんですか?と聞かれました。数多くの民間調査会社の中には「調査は捜査である」とか「調査と捜査の違いはない」と公開しているホームページもあるし、私が以前所属していた事務所においては、捜査書類(司法書類)の代表である実況見分調書を行政文書だと主張しているありさまでした。このような捜査と調査の誤った認識のもとで作成された意見書や鑑定書は法曹三者(裁判官・検察官・弁護士)や交通事故捜査の本質を理解している鑑定人の目にとまれば、そのレベルの低をすぐに露呈することとなります。多くの場合は、その鑑定結論に「鑑定人の空想」を付け加える結果を生んでしまいます。つまり、捜査と調査の違い・限界を理解していないとせっかく事故の客観的痕跡や工学鑑定によって数値定量化された事故形態を証明していながら、鑑定結論に「わき見運転をしていたと思われる」とか「居眠り運転をしていたと思われる」「視力・聴力に病的欠陥があったと考えられる」といった空想を付け加え蛇足となってしまっているのです。わき見運転や居眠り運転というものは、捜査して初めてわかる事実であって、交通事故現場の痕跡をいかに客観的に見ても、いや客観的に見ればこそ鑑定結論からは排除されるべき空想的な私見なのです。これらは運転手などに直接話しを聞いて、説明を求めなければ決してわからない事実です。私は交通事件事故捜査を10年以上も行ってきましたが、事故現場の信号機やスリップ痕、壊れた車など何時間かけてどんなに丁寧に見分しても、痕跡からのみでは事故の原因を特定することは不可能でした。捜査(ここでは交通事故捜査に限定して)とは自動車運転過失致死傷罪という犯罪を立証する上で、痕跡からのみではわからない事故の原因(わき見、飲酒、前方不注視、動静不注視、居眠り、身体的・病的欠陥など)を究明するために行われる活動全体をいうのです。交通事故鑑定人や調査会社の調査員が行う交通事故調査・鑑定とは全く性格が異なっていることがおわかりになるかと思います。
交通事故捜査において多くの問題が生じるのは、このような性格の警察捜査ですので、捜査員(事故を担当する警察官)の主観や誤った認識、捜査能力によって、場合によっては意図的に、交通事故の原因が歪められてしまう恐れがあることで、現に多くの交通事故事件でそういった問題が繰り返し発生していることなのです。ひどい場合は客観的痕跡も歪められております。この事実は交通事故調査・鑑定を職業していておられる多くの鑑定人先生方もご納得いただけるところだと思います。
ここでは、交通事故捜査と交通事故調査とは「似て非なるもの」、全く目的と導き出そうとする結論が異なっているものだということをご理解いただきたいと思います。
交通事故調査と交通事故捜査の違いとは?
2012年04月01日 · 未分類
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倫理法人会(3)
2012年03月27日 · 未分類
仙台広瀬倫理法人会第330回経営者モーニングセミナーでした。今日は「人は鏡、万象はわが師」の考え方を、いいえ、「実践」すべきことを学びました。人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変わればよい。よく言われていることです。
自分の意見、主張を通そうとする時、他人の意見を誹謗中傷したり、ヒステリックに高声をあげたりする方をたびたびお見かけします。相手の人を直そうとした時、鏡に向かって、顔の墨を消すに、ガラスを拭こうとしていたので、一向に落ちず、ただイラついて高声を上げ続けているのです。冷静になって自分の顔を拭えばよいことを見失っているのです。
経営者として、代表者として、家長としてそれぞれの立場で他人を改めさせようとしたら、まず自分が変わればよい、そうすればその通りに変わっていくというのです。
この考え方はトップダウン方式の警察組織に20年以上も浸かっていた私には新鮮でなりません。組織としての方向性(捜査の方向性も含めて)を変えるのはより上位の階級の、突き詰めると組織の長の「考え方」であり、それは指示、命令として法的な根拠によるものだから、長、自らが行動で示す性質のものではないのです。
こういった構造では組織人に「倫理」というものが育たないのは当然です。一糸乱れぬ統率のとれた行動をとる必要から生まれた階級制度で巨大組織を束ねるには必要な組織形態なのです。しかしその短所として、倫理という人の絶対的な「心」は、指示、命令では伝わらず、これが不祥事の根源だと感じます。
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本当に雪が多く、警察不祥事も多く・・・
2012年03月24日 · 未分類
事務所2階からの様子ですが、昨夜からちらほら降っていた雪ですが今朝までに積雪10センチほとになってました。3月も下旬ですので、ちょっと太陽が照れば道路はすぐに溶けるのですが、北向きの屋根は3~4日残るでしょう。
さて、ここ1週間、宮城県の地方紙で毎日のように報道されているのが、千葉県警の「ストーカー被害届提出先延ばし要請」案件です。1週間被害届提出を待ってくれと当事者に依頼して、その間に北海道へレクレーション旅行に行っていたという、報道です。このての事案は、埼玉県桶川市で発生して、いわゆる桶川事件以来、絶対に起こさないという組織体制が確立しているのですが、所詮は巨大な組織を通達という形で指示を徹底したといったところで、その効果はほとんど期待できません。こういった問題は組織人一人ひとりの資質の問題であり、制度的に解決できる問題ではないし、組織には反省という概念が定着しないと思います。そしてもっと許せないことは、事実調査を実施している最中に把握したこのレクレーション旅行の事実を、組織のトップに報告せずに済ませようとする考え方が存在するということです。
私は、実際に現場で被害届の提出を先延ばしするように調整した警察官よりも、調査結果報告を意図的に調整を図ろうとした警察官の考え方の方が、そしてそのような体質がまだまだはびこっているなら、何倍も悪意あるものに感じてなりません。遺族の方の「もう警察は信用できません」というコメントも掲載されていましたが、当然だと思います。また警察に対する信用が失われていくことが残念でなりません。警察官による窃盗、盗撮、強猥、捏造文書、飲酒運転・・・etc。その都度発覚するたびに再発防止に努めます、という謝罪を聞くが、型式的謝罪、社交辞令的なものになっていて実態を変えることが不可能であることが立証されていると思います。このあたりのことはいずれ本にまとめて出版したいと思います。
当直12名で北海道2泊3日のレクレーション旅行かぁ。私は平成22年10月24、25日に青森県大間方面へ同僚とレクレーション旅行をしておりました。その25日朝、息子は仙台で交通事故に遭っていたのです。生涯、忘れようにも忘れられない旅行です。
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真実の行方
2012年03月22日 · 未分類
仙台高裁に来ています。私がまだ現職時代から常々思っていたことですが、この日本という国では、真実を追求して、真実に基づいて処罰され、真実に基づいて救済されるべき、という当然のことが本当に難しいものです。私は警察本部留置管理課という部署での勤務経験があり、3年間、数多くのあらゆる事件事故に関する刑事裁判立会いを行いました。裁判は原則公開ですので特定の職業の人でなくても誰でも自由に裁判を傍聴することができますので、多くの方に裁判を傍聴してもらいたいと思います。
さて、その裁判というものですが、裁判とは真実が勝つのではなく、証拠を揃えた方が勝つ仕組みのように感じます。一般的に言われるように、「正義が勝つ」というものではないと、私は、あくまで私はそう実感してます。だから事実存在する数多くの事象から都合に合わせて取捨選択し、一部分を証拠として揃えていく作業の場になってしますのです。間違いに気づいても間違いを修正するのではなく、間違いでも「これが真実だ」と主張を通せばやがてそれが本当に真実として取り扱われていくから不思議です。真実の行方~それは概ね60パーセント程度の人が、まぁ、こんなもんで60点といったところだろう、というところを目指しているようなのです。100点満点の真実があっても、60点平均点の方が無難なのかもしれません。
単なる戯言を並べてしまい抽象的で意味不明のところがあると思います。みなさんと直接お会いする機会があれば具体的にお話したいと思います。でも、交通事故鑑定人なんていうものは、できれば会わないで一生を過ごした方が幸せです。交通事故の加害者にも被害者にもならないように注意して玄関から一歩踏み出しましょう
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痕跡の発見に努めて・・・
2012年03月18日 · 未分類
痕跡は人の記憶よりも正確に事故当時の状態を教えてくれます。その痕跡を発見することが当社の調査基本となります。複数の痕跡が理路整然と説明がついて根拠を持った時、はじめて推論の過程に至ります。擦過痕、払拭痕、皮脂痕・・・etc。どれも自然と証明がつくまで何度でも確認作業をして合理的な事故形態を再現していきます。
今日は天候にも恵まれていい仕事ができました。
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若者とのふれあい
2012年03月16日 · 未分類
大河原商業高校で市民講師として50分×3時限の講和をしてきました。これから社会に飛び出す高校生に大人として接してあげることで、人生の幅を少しでも理解でてもらいたいと思います。我々大人が、多くの若者と接して彼らの考えを聞く機会が少ないように、彼ら高校生も大人と接して、社会の様子を聞く機会も少ないものです。ゆっくり、落ち着いて、わかりやすく説明し、ゆっくり、落ち着いて、丁寧に高校生の声を聞いてあげる機会は、大人も子供も共に成長します。彼らのもつ無限のエネルギーを惜しみなく発揮できる社会であって欲しい、抜き出るパワーを抑え込む社会にしてはいけないと感じた半日でした。次回に会った時の彼らの成長が楽しみです。
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倫理法人会(2)
2012年03月13日 · 未分類
倫理法人会会場から見える今朝の仙台市内です。今年は本当に雪が多いです。3月中旬でも積雪10cm以上ですから、やっぱり地球が変化しているのでしょうか?1年前の東日本大震災の時も雪が降って、電気・ガス・水道・ガソリン・灯油すべてが途絶え寒さをこらえて過ごしていました。庭に積もった雪を溶かして頭を洗ったり、コーヒーを沸かしたり・・・サバイバルでした。
さて、先週は風邪で休んでしまいましたが、本日は仙台広瀬倫理法人会モーニングセミナーの日です。今日は[3]運命は自らまねき、境遇は自ら造る、を考えました。「運は天にあり」とか「果報は寝て待て」が人が生きていく上で正しいのか、その正解を求めるものではありません。しかし本章の結びの言葉は「運命を切り開くのは己である。境遇をつくるもまた、自分である。己が一切である。努力がすべてである。やれば出来る。」とあります。私は運を天に任せるのではなく、自ら切り開いていく路を歩みたいと思います。
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安倍晋三元内閣総理大臣と有意義な時間を過ごしました
2012年03月05日 · 未分類
はじめに、私は無所属・不偏不党の立場です。特定の政党も宗教も支持しておりません。本日午後4時から第90代元内閣総理大臣安倍晋三氏とのディスカッションに招待していただきました。一国の舵取りを迫られるその義率判断の苦しさはおそらく我々の想像を絶するものがあるのでしょう。安倍氏の考え方の中にも私なりに賛否両論がありました。しかし私との大きな違いは、彼ら政治家は理想を追い求め、そしてその理想実現のために批判を覚悟の上で実践をしているのです。報道を見て、机上の上で理想を論じている我々とは違います。政党政治を評論する前に、私はあまりに政治に無関心でした。そしてこれまで私が接してきた多くの人もまた理想的な社会を築いてもらうことを政治家に期待し、自らは実行に移せない人ばかりでした。安倍氏が最後に話した「政治家に期待するのではなく、自ら取り組んで欲しい」という言葉の意味がよくわかりました。
ご招待くださいましたスタッフの皆様、ありがとうございました。
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倫理法人会(1)
2012年02月28日 · 未分類
倫理法人会をご存じですか?様々な企業経営者が早朝に集って企業倫理についての勉強会をする会です。社団法人倫理研究所を中心にする組織で、当社は仙台広瀬倫理法人会に所属しております。毎週火曜日午前6時からとかなり今の季節は厳しいですが大変ためになります。その中でも今日は最も基本にしている第1条「今日は最良の一日、今は無二の好機」の輪読でした。「気づいた時、気軽に、喜んでさっと処理する。」気づいた時、それはその事を処理する最好のチャンスで、その時を逃せば次第に条件が悪くなる、という実践の言葉です。
鑑定人という部類の職業はどうしても自説に固執し異なる意見の持ち主を「どうにもならない人」というレッテルを貼りがちになります。倫理法人会は大企業、中小企業経営者、弁護士、医師、公務員など多くの異業種交流の場でもあり、世の中というものは実に多くの考え方によって成り立っていることを実感させられます。
交通事故鑑定人っていうのはどんな人なんだろう?とその人柄が不安になって相談を控えてしまいそうなとき、倫理法人会に限らず異業種交流の場に参加している事業主であれば比較的安心できる目安になると思います。参考にしてみてください。
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