倫理法人会(4)

2012年04月03日 · 未分類

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4月3日火曜日、私にとって新年度最初の大仕事は仙台広瀬倫理法人会の司会進行役から始まりました。4月・5月の2ケ月間、毎週火曜日は午前4時起き、5時会場入り、5時30分幹部朝礼、6時モーニングセミナー、7時朝食懇談といった規則正しい生活を強いられることとなりました。20年以上も警察官として公務員の職に就いていた私にとって、まさか、民間企業経営者セミナーの司会進行をするようになるなんて夢にも思っておりませんでした。警察組織にも「職務倫理の基本」という全国警察共通の倫理観が掲げられています。それは捜査・権力機関に従事する公僕として極めて崇高な倫理観です。しかしあまりにも崇高ゆえに、警察官自らがその職務倫理の基本を実践することができず、結局は現実離れした型式的制定になっている現状のようでした。交通法令に置き換えて説明すると、例えば指定速度が時速20キロとか時速30キロという公道が存在しています。その指定速度を守って走行すれば本来は理想だろうし、規制速度の標識が悪いものではありません。しかし、現実には多くの場合、その指定速度は守られていません。県民の模範となる警察車両ですら守っていない場合が多いものです。(もっとも、警察車両は公安委員会の指定速度標識から除かれているので、標識に従う義務はないのですが。)その道路環境から必要性があって規制された指定速度標識なのですが、日常の社会生活を営む上では公道の指定速度が20キロとか30キロというのは、相当意識して車をコントロールしなければ守られず、一般的には速度超過違反という認識を持つこともなく過ぎてしまうのです。社会通念という概念から極端に離れた規制は定着しないと思います。警察組織にある職務倫理の基本も同様で、日常生活をそつなくこなしていれば意識する必要がありません。その結果、多くの警察官の職業倫理観も一般公務員化し、「警察官だからこそ許されない」、という高い倫理観、道徳観が薄れてしまっているように感じます。
今日の新聞では山梨県警の警察官が制服などをインターネットで販売していたという警察不祥事記事が掲載されていました。その動機理由も「生活費に充当する」というコメントです。この種事案をみると、崇高な職務倫理の基本が、理想であると認めながらも、人として警察官の心にいきわたっていないと思わずにはいられません。私も現職当時はよく同僚と共に職務倫理の基本の一節を掲げ「誇りと使命感だけでは生活ができないんだよ」と嘆いていたことがあります。倫理とは指示命令で教養できるものでは決してありません。不祥事が発覚する度に、通達を流したところで人の心に倫理が行き届くことは絶対にありません。警察不祥事は繰り返し、必ず発生します。絶対に再発します。再発防止策を警察組織自らもっていないからです。自浄作用が期待できないからです。
職務倫理を逸脱してもそれが警察内部の問題であるなら、さほど市民生活に影響はありません。しかし、逸脱した倫理観によって執行された職務によって、それが一般市民の権利、義務を不当に侵害するようであれば、それがどんな小さな権利の侵害であっても許されるものではありません。小さい幸せが平和で、ずっと続くことを希望しているのが一般市民だと思います。

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