本年は4月から宮城県、宮城県警、河北新報が主体となって「みやぎ交通死亡事故0キャンペーン」という取組みを行っていました。
いかにも真新しい取組みのような広報ですが、その内容は旧態依然の踏襲だと思いました。
今年も残りあと1か月を切りましたが、交通死亡事故は前年を上回って発生しております。
結果を求めるならば、このキャンペーンは失敗だったのでしょうか?それともキャンペーンを実施していなければもっと死亡事故は増加していただろうから成功だったのでしょうか?
今日、日中の東北放送ラジオを聞きながら車を運転していたら、宮城県警交通部交通企画課の方がラジオの電話出演をしていた。
現在、みやぎ交通死亡事故0キャンペーンを実施中で、飲酒機会が増える12月は飲酒運転防止をさらにひろく県民に周知させるため徹底した取り締まりを実施するということでした。
毎年の恒例行事とはいえ素直に私も飲酒運転防止への取組み大賛成で、番組に「がんばれ」と応援メッセージをメールしようとさえ考えました。
しかし、交通企画課の担当者が説明した飲酒運転防止の取組み方策を聞き一気に興醒めしました。
宮城県警察本部交通部交通企画課の担当者によれば、
「飲酒運転には6つの失うものがある」ということでした。
① 命を失う
② 家族を失う
③ 仕事を失う
④ 社会的信用を失う
⑤ 免許を失う
⑥ お金を失う
取り締まり機関である警察ではやはりこうなってしまうのでしょう。
そう、飲酒運転をした本人に対して不利益処分を受ける戒めによって、飲酒運転根絶を主眼にしているのです。
それが間違いだとは言いません。もっともなことだし、私も警察官現職中はそう話してきました。
しかし、せっかく人材と経費をかけて広く県民に飲酒運転撲滅を訴えるキャンペーンを広報するのなら
③、④、⑤、⑥などは運転手の傲慢な身勝手が招くもので、そこに視点を向けて呼びかけるよりも、
もっと飲酒運転事故の犠牲になった方々の声を普及する広報に力をいれてもらいたいものです。
結局取り締まり機関としての警察組織にしてみれば、常に対象の矛先は飲酒運転をした被疑者の立場から考えざるを得ないのです。
ある日突然、平穏な家庭、生活を壊された被害者や遺族の視点というものは残念ながら警察活動の根底にはないのです。
飲酒運転をすること、飲酒運転を容認することは
「あなたの飲酒運転が、今平穏に暮らしている人の幸せを壊すことになる。」
「あなた自身が愛している人、大切な人の命が奪われる社会を無くそう」
という視点を、飲酒運転に限らず交通死亡事故抑止の啓蒙活動に取り入れることができないのでしょうか。
取り締まりは絶対必要だし、県警の他は取り締まりができないのですから徹底して取り締まりをして欲しいと思います。
しかし、安全啓蒙活動とは理不尽な行為によって突然身体、生命、財産が害される社会をみんなで無くそうということではないでしょうか。
みやぎ交通死亡事故0キャンペーン
はじまりはとても素晴らしかったと思います。
交通事故の理不尽さに怒りを感じました。
その後、2~3ケ月に一度の割合で、地元の河北新報で大きく紙面をとってキャンペーンを広報していました。
みやぎ交通死亡事故0キャンペーンのイメージステッカーデザインの募集、選定などというものありました。
特別賞を受賞した作品は交通安全教室などで活用するクリアファイルのデザインとして印刷されて使用されるということでした。
どれほどの費用対効果を期待してのキャンペーン取組みであったのか企画者の意図はわかりません。
しかし、交通事故防止が取り上げられて何十年も経った現在、企画に関する具体的な予算の使い方も出尽くし、
発想の限界感を感じずにはいられません。
みやぎ交通死亡事故0キャンペーン
その取組みはとても素晴らしいと思いますが、取組み方を進める主導的役割を担っている県警の視点に疑問を感じた今日のラジオ放送でした。
すべて私見です。