京都府亀岡市でおきた事故をきっかけに、各地の小中学校などでは通学路の危険個所を点検している最中でです。そんな中、今朝の7時30分ころ千葉県館山市大賀の県道で通学のために路線バスを待っていた小学児童(6歳)に軽乗用車が突っ込んだ事故が起きてしまいました。それから数時間もしないうちに、男児の死亡が確認されたという県警館山警察署の発表がありました。
仙台にいる私には原因がわかりません。警察発表では「仕事の事を考えていて、ぼんやりしていた」ということです。現場の道路状況などはたまた5月8日に千葉県出張の仕事がありますので、その時によく計測してこようと思います。
しかし、たしかに全国各地には危険な道路形状というものが存在してますが、それでも道路形状が事故原因だったという交通事故はありません。一日の何百台、何千台という車が同じ道路を走行しているのに、たった1台だけが交通事故を起こすのですからやはり認知・判断・操作という運転行為の繰り返しの中で、運転手に何らかの原因があると言わざるを得ません。車と人が共存する車社会ですから、今運転している人だって、必ず歩行者に立場が転じるものです。全ての道路を歩車完全分離構造にするなど非現実的なことですから、道路を歩行する上での大部分の安全は自動車運転手の安全意識に委ねられて人車の共存が成り立っていることを私たちが運転手の立場になった時に意識づけしなければなりません。
自動車運転手に対する安全教育の場では、運転中全神経を運転行為だけに集中すること、講師の先生が話しをしますが間違いではありませんが、実行不可能な指導の要請でもあります。誰だって考え事をしたり、窓の景色に目を奪われたり、ラジオを操作しながら運転をしているのです。安全教育を担当する講師の方だって、パトカーを運転したって、白バイに乗務したって、様々な考え事をして運転しています。それでも事故を起こさずに目的地に移動ができるのは、その場面、場面で認知・判断・操作を適正に行っているからだと思います。自分の置かれている状況や立場を理解して適切な認知と判断をし、行動に移す、ということは自動車運転時だけではなく、社会人としてのルールだと思います。この社会人としてのルールの欠如が被害者無過失事故の大きい原因です。
実は、千葉県館山市での事故と同じ時間帯に、愛知県でも発生しているのです。愛知県でも通学途中の児童の列に乗用車が突っ込んだという事故です。悲しいですね。
またも被害者の無過失事故・千葉
2012年04月27日 · 未分類
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