「交通事故に冤罪なんて起こる訳がない」
そう思っている人は多い。
そこには被害者や相手車両がいて、加害車両が存在しており物証が揃っているから犯人を間違えて処分するなんてあり得ないという思い込があるからだ。
現場の警察官もまさか真犯人がいるなんて疑わないし、検察官も、弁護士も疑わないから裁判所だって疑いもしないから。
ところが、実際にはそんなことはない。
現場で事故処理をしていると、
「あれ、この人は本当に運転手だろうか?身代わりではないだろうか?実は犯人は他にいるのではないか?」と感じることが多々ある。
そんな時は冷静に事件現場を見直すし、むしろその恐れがあるからこそ、少なくても私は運転手の言い分、歩行者の言い分には常に疑いを持って捜査をしていた。
現場で犯人性に誤りがあると「冤罪」というとてつもない誤りを犯す危険があるからだ。
2016年6月11日河北新報朝刊に「えん罪救済センター」発足の記事が載っていた。
そのメンバーが学者と研究者、弁護士というのは実際の捜査の現場の様子がわからないから、いささか不安も残るが、学識者として被告本人から話しを聞く人が誰かいなければ検証作業も進まないからやむをえない。
問題は科捜研OBがいて、その発言である。
えん罪救済センターの立ち位置を「あくまで中立公正」というところに大きな疑念が生まれる。
その疑念とは、
市民の代表として取材をし記事を書いた記者を含めて、多くの国民が科捜研とは中立公正な立場であるから、その経験を活かせる科捜研OBもセンターの番人として適任である考えているのではないか
という恐れがからくるものだ。
私のコラム読者の中で交通事故関係者となった方で科捜研が中立公正であると実感し、信じている方はどれほどいるだろう?
これまで当社がお付き合いしてきた殆ど全員に近い当事者は、科捜研の恣意性、不公正性を訴えている。
被疑者も被害者も被害者家族も、加害者家族もである。
同じ現場資料のDNA型鑑定でも、その第一人者の押田茂實先生は科警研鑑定を最低最悪と評価し、実際に適正データを示して逆転無罪により多くのえん罪事件を暴いている。
捜査の現場や実情を教科書レベルでしか知らない学識者、研究者、医療従事者、法曹関係者の中に建前上中立公正とされるイメージの科捜研OBが加わると、その肩書きブランドであたかも最強最善の組織作りになっているという過ちが生じる危険がある。
科捜研職員とは司法権がなく、そして所長など管理職になるほど組織防衛のための思考になっていることを忘れてはいけない。
恒例として、いわゆる天下り組織にならないことを期待したい。