時効はどうしてあるのか?
考えたことがあるでしょうか。
学説などにより違いもあるでしょうが、先日、時効を所管している国の中枢部署の長である現在の法務省刑事局刑事法制管理官と面会した時に次の3点を挙げています。
①時間の経過とともに証拠が散逸していまい、正しい裁判を行うことが難しくなり、冤罪を防ぐためにに時効制度がある。
②時間の経過とともに、処罰感情が希薄化する。処罰感情とは国家の法律であるから国民全体、社会一般の処罰感情をいう。
③犯行後、日時が経過することで犯人側にも事実上の生活が継続していることを尊重すること。
勿論これらは管理官個人の見解ではありません。国の役人として組織人としての一般論でしょう。
実際に彼は、事件を我が身に置き換えて考えると、時効の理由が被害者に受け入れられ、理解が得られるかといえば個人的には必ずしもそうではないですと付け加えています。
その時の管理官の目はうっすらと赤くなっていたように私には見えました。
法律は国民全体のためにあるのだから、
社会全体の利益を守るために必要な法律の改正は時代の流れに伴って議論しやすい。
しかし犯罪被害者という社会全体の中の一部に属する人の感情に報いるための法律改正は、全体の利益ではないから改正議論に発展しにくくハードルが高い。
全ての人が平和で幸せに暮らせる世の中は理想ではあるが、まだまだ猛烈な憎悪とどうしよもなく愛おしい愛情が混在して成り立っている社会を生きるのが、人間として生まれてきた定めなんだと思いながら霞ヶ関をあとにしました。
時効は誰のためにあるのですか?
死亡ひき逃げ事故のご遺族小関代里子さんに問われた時から考えていましたが、結局は犯人が事実上暮らしている家族であったり、周辺を取り巻いている人々の生活を尊重するためです、という答えになってしまいます。
それにしても未熟な私には、犯人の家族や周辺者の生活を尊重しようとする趣旨は理解できますが、法を犯した直接の犯人が法の適正な処罰を受けることを免除される時効や恩赦特赦制度は社会正義とは言わないという思いだけが先行してしまいます。
よく分からぬまま今日はこれから富山県高岡市に向かいます。