私は警察捜査手法の中でも絶対に許せないものとして捜査報告書等の司法書類に虚偽内容の記載をすることを挙げている。捜査機関が真実を曲げた内容を公文書として作成する行為は、その悪質性では凶悪犯に匹敵する社会への裏切り行為だと思う。
10月17日京都府警発表の報道では、無免許運転の道路交通法違反被疑者の逮捕状請求にあたり、山科署交通課の47歳巡査部長が現認地点(違反行為を現行犯で見た地点)や違反車両の走行方向など、重要な部分で事実と異なる内容の捜査報告書を作成して裁判官の逮捕状の発付を受け、被疑者を逮捕していたということです。もちろんこのような違法捜査は通用せず、被疑者は釈放された。
ここで何故巡査部長は虚偽内容の捜査書類を作成しなければならなかったのか?巡査部長が事実間違いない自信のもとで違反行為を現認したのであればわざわざ虚偽内容など作成する必要はない。虚偽内容を創作しなければ単純な交通違反を立証できない状態であったからこそ虚偽報告をしなければならないのである。そしてこの事件で分かるとおり、警察官が虚偽内容の報告で捜査報告書を作成しても、上位階級者は見抜くことができず裁判官も疑う余地もなく簡単に逮捕状を発付する結果を生む組織構造に大きな問題がある。虚偽内容を上位階級者が見抜けなかったのなら致し方ない。しかしもし上位階級者も虚偽を知ったうえで逮捕状の請求をしていたなら、虚偽報告をした巡査部長以上に悪質であると思う。実際の捜査現場では令状請求検討のチェック項目を設けて幹部の決済を受けており、少なくても課長は事実を把握した上での組織的行動であり巡査部長一人の判断ということはありえない。
京都府警は今まさに、京都亀岡交通事故、京都祇園交通事故と渋滞事故が続き法律改正の原点となっている事件を持っている。その京都府警が無免許運転に関して虚偽内容の報告書を作成している事実が発覚した以上は、遺族とすればどうしても本当に京都府警は事件の真相究明のための捜査を尽くしたのだろうかという不信感を抱くのではなかろうか。
この種の事件では、身内捜査となってしまい真相を明らかにすることは困難で、また報道された捜査結果が仮に真実であったとしても疑念が払拭すれることはない。このような時には当事者と弁護士などが真相究明の捜査を遂行すべきと思う。
京都府警の無免許運転捜査
2012年10月17日 · 未分類
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