警察教育見直しの報道

2013年08月18日 · 未分類

仕事上で起きるミスへの対処について、新人警察官らに対する教育が、失敗を戒める姿勢から「自分の弱さを認めたうえで問題に向き合おう」という方針に変わりつつあるという報道がありました。教育姿勢が方向転換した背景には、叱責を恐れるあまり上司に相談できない若手が増えている実情があるということだ。警察庁通達では「単なる叱責は職員を委縮させ、失敗の隠蔽を誘発するだけ」と失敗の対処の教育を改めるように求めている。

この教育方針転換への講師をつとめているのが中川正浩警察庁長官官房参事官という方らしい。彼によれば「失敗を恐れぬ若手を育てなければ警察の将来はない。上司も人の弱さに寄り添わなければ」と意識改革を促しているという。
私にはよくわからない。

失敗を恐れないことは大切なことだ。しかし、それは民間企業に言えることではないだろうか?学生に対して言うべき言葉ではないだろうか?
公権力を持つ職業人に対してはあまりに無責任であるように感じる。
「県民の治安を維持するという崇高な使命感」と言いつつつも、求めるレベルは極普通のサラリーマン、あるいは前途ある学生程度の職業意識である。
警察官が失敗を恐れず、警察権を行使することが一般化したらその被害は直接県民、国民に及ぶものである。「若手警察官が間違って警察権を行使してしまいました、嫌な思いをした県民はどうか大目に見てください。現在教育方針の転換期で失敗を恐れるなと指導している最中です」
こんな弁解がはびこるようになるのではないだろうか?

警察官が街頭に出れば、そこは生の現場で、どんな些細な事件事故、要望苦情であっても決して若手警察官の教材ではない。
間違わずにすむ職務執行の組織体制を整えるべきだと思う。

それでも過ちは起こる。殺伐とした事件事故現場では擬律判断を誤ることがある。これを皆無にすることはできない。
求められているのは、その後に修正する機会があるなら、間違いを正し、関係者に謝罪や十分な説明を
親切に丁寧に、分かりやすく、紳士的に誠意をもって対応することだと私はつくづく感じている。

最も悪いのは、報告を受けた上司らが組織防衛と保身のために部下の失敗を隠蔽し嘘の報告に終始する行動にでることである。
若手警察官が自らの失敗を上司に安心して報告する教育方針を打ち立てたところで
報告を受けた上司は、組織の上に立つ身として絶対に組織防衛と保身のたえめ、失敗が及ぼす影響が最も少ない方法を打ち立てることになる。

組織上、上位の階級にある者が常に人間的にも優れた人物であるなど、迷信に近い。

二十数年間、警察組織にいて様々な上司に巡り合った。
捜査報告書を書いて提出すると、上司はいつの間にか「てにをは」を指摘する国語の先生になり、ある時は政治経済の論者になり、またある時は悩み事のアドバイザーになり
部下の一切は上司にあたる者が管理監督する。そしてその上の上司が手のひらを返すと、今まで指導していたことを一気に覆し部下に修正を求める。

何故、部下の生活、付き合い、借金、趣味嗜好など全てを書面に書かせ提出させるのか?
身上監督という上司の保身のために過ぎない。

教育方針の転換は「若手警察官」に対するものであるようだが、失敗を失敗と認め
正しい方向に修正する組織の教育改革の方がずっと重要である。

警察庁長官官房参事官という立場の方は、不祥事が続き警察の将来をダメにするのは若手警察官の仕事に対する気構えと考えているようだ。
それは断じて違う。
捜査に誤り、失敗があることが明らかになっているのに「捜査は適正に行われていた」と
弁解するような組織体質こそが、県民の信頼を損ねる大きな理由である。

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